-沖縄本島- 園児たち。日差しが強いからか帽子の後ろにも布が。 旧海軍司令部壕。那覇から結構近い距離にあると知り、急遽行きました。 ここは日本軍が米軍の砲撃から逃れ、作戦を立てる場になっていたようです。450mほどの通路と点在する部屋があり、4000人もの兵士が収容されていたそうです。 壕の中は寒々しく湿気を感じましたが、それ以上に当時ここに居た人々の跡を感じたかのように、一瞬寒気が走りました。 本や映像では表層でしか受け取れないものが、実物はぐっと迫ってくるものがあります。 壁にできた、桑で一つ一つ掘られた跡も心に刻まれるようでした。 450mほどの通路と部屋に、数千人の兵士がゆったり寝られる余裕があるはずもなく、立ったまま寝なきゃいけない事もあったそうです。 壕の外へ出てすがすがしい空気を吸いたかったある女性にとって、中にいても地獄、外に出ても地獄という選びようのない境遇は、知った時特にショックでした。 今でも基地問題が取り上げられますが、実際に行ってみると現実味が沸いてきます。 「自分たちは今も戦争の被害者だ」と言うある人のコメントがいつかの新聞にありましたが、 実際に行って初めて、それを感じた気がしました。 あまり偉そうな事は言えないですが、過去と現在のこういう事実を、 一人一人が実際に足を踏み入れて確かめてほしいと感じました。。
旧海軍司令部壕のある場所から街を望む。ここがかつて戦場という恐怖の場になっていた事が信じ難いほど、 結果として今の生活があるとすれば、自分の生活を放棄して彼らの犠牲を無かった事にできるか?と自分に問いたくなりました。 平和を願うなら、自分も何かを犠牲にできる覚悟が必要なんだと感じた瞬間でした。 さて、場所は変わって次は首里城です。 城壁。壁がまっすぐでなく、うねうねしてるんです。 六角形の石畳なんですね。ちなみに前を歩くのは母。
ラピュタを思い出したので貼っておきます(笑)
首里城で何か催し物。。? こちらは模型でなく本物。竜の装飾がやたら多いです。
琉球王国のお菓子。 でも床には畳を使っていて、日本と言うとちょっと違う、でも外国ほどに離れていない、そんな、興味をそそられる場所でした。 外国と言えば、石垣島に来た時からずっと、半ば海外にいる気分でした。 頭のスイッチが無意識に「海外」モードになっているからか、「店員さんの対応が丁寧!」とか、道路渡る時も「こっちが図々しく入らないと車が止まってくれないだろう」とか思ってしまったり、日本語が通じたり駅のアナウンスや看板が日本語な事に驚きや新鮮さを感じたり・・・笑 首里城の後、まだ時間があったので、国際通りを通って空港に戻る事にしました。 国際通りで出くわした人たちその1 その2 その3 ちょうど目が隠されてるけどドナルド何やらかしたん?笑 沖縄、行ってみたいと思ってはいましたが、微妙な遠さゆえすぐ海外の方に目移りしてしまいなかなか行く機会がありませんでした。でも行ってみると、沖縄って海外と日本の狭間みたいなちょっと楽しい場所だし(笑 海は綺麗だし、戦時中の惨状を知る事ができる場所で本当お勧めしたいです。 母が誘ってくれたおかげで行く機会ができましたが、そうでなければ機会がありませんでした。 ママン。。ありがとう。。・:*:・(*ノ∀`*)・:*:・ |